新しいスポーツとしての広がり
トライアスロンが生まれたのは1974年のアメリカ西海岸、カリフォルニア州サンディエゴでのことだった。水泳・自転車・ランニング(トライアスロンではそれぞれスイム・バイク・ランとよぶ)の3種目をトランジッションで継いで連続して行うことから、ラテン語で数字の3を意味するアスロンを合成してトライアスロンと命名したのは地元のトラッククラブのメンバーたち。最初の大会はラン4.5km、バイク8km、スイム0.4km、ラン3.2km、スイム0.4kmという変則的なスタイルで開かれた。
4年後の1978年、ハワイではラフウォータースイム・ハワイ1周サイクリング・ホノルルマラソンを一度に行ってみようとトータル225.2kmのトライアスロンが開かれた。アイアンマン(鉄人レース)と名付けられたこの大会はその後ウルトラディスタンストライアスロンの象徴的なイベントとして発展したが、最初の参加者はわずか15人だった。
その後1980年前後のフィットネスブームに乗ってトライアスロンは急速にファンを増やしていき、今日では世界5大陸100ヵ国を越える国・地域の人々に親しまれるまでになっている。
レースの普及とともに、スタンダードな距離が決められるなどスポーツとしての形態も整えられた。1982年には各種データからみてバランスのとれた距離、スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmのトータル51.5kmが設定され、現在の「ザ・トライアスロン」と呼ばれるこの51.5kmは世界選手権をはじめ世界の大会の85%以上を占めるまでになっている。その一方で、距離・ルール・運営方法などの変革によりトライアスロンは種目細分化の傾向にある。
ラン・バイク・ランで競われるデュアスロンや室内競技場に特設プールを施したインドアトライアスロン、さらにはグループを作りレースを競う形態なども注目を集めはじめた。
国内での最初のトライアスロンは1981年、鳥取県の皆生温泉で開かれた。1985年は宮古島、びわ湖で長距離タイプが行われると同時に、天草では51.5kmのレースがはじめて開催されるなど、トライアスロンが一躍脚光を浴びた年となった。地域の人々の声援を受け、自分との戦いのうちにゴールをめざす醍醐味、エアロビクス効果の高い3種目のフィットネス性、そして若い選手たちには新しいチャンピオンスポーツへの夢・・・。このスポーツの持つさまざまな魅力に、トライアスロン人口はその後10年で急速に増加した。レースに参加しない潜在者層も含めると、その数は現在20万人を超えるといわれている。地域には多くのトライアスロンクラブが生まれ、彼らの情報交換とトレーニングの場となった。大会の数も増え、昨年一年間に全国で開かれた大会数は一般公道を利用したトライアスロンやデュアスロンが約100大会、公園やプールを利用した大会が90大会ほど。その多くの大会で応募が定員を上回る状況にある。 |