第3章 人間が行うスポーツ
1.<選手と審判員の信頼>
□通い合う信頼
「この審判に裁かれるのであれば異論はない(選手の思い)」
「この選手たちは絶対に意図的な違反を起こすことがない。競技中の水先案内人として白熱した選手たちを誘導する(審判員の思い)」。
このように、立場を越えた人間の意志が、通い合う大会であってほしい。
そのためにはどうしたら良いのか
キーワードは、選手に求めることを、審判員もすることである。選手に課せられた義務と同じことを、審判員にも義務として定義する。
選手宣誓に対する“審判宣誓”。審判員のための“誓約書”。審判員のユニフォーム規定。ルールとマナーを守るのは、選手ばかりではない。
それがあって、選手と審判員が、同じ真剣勝負の土俵に立つことができる。
□納得のゆく結果
「日頃の鍛練の成果を存分に発揮してください」とは、よく耳にする挨拶である。選手は、確かに、度合いは違えど、それぞれの鍛練の成果を発揮するために大会に参加する。目的も千差万別であろう。
大事なことは、それぞれの選手が、いかに“納得”できるかである。「勝っても納得のいかない」ことがあるだろう。「納得できる負け」もあるに違いない。
事例1(スイム運営):
スイムコースの設定不備によりショートカットが公然と見逃された大会がある。天候不良でコースロープ設営が巧くいかなかったという理由がある。
しかし、この大会の優勝選手が、あまりにも酷い運営に納得できず、受賞を拒否した海外大会例がある。
事例2(トランジション)
トランジションバッグにウェットスーツを入れることが義務付けられた大会。このローカルルールの是非はさておき、事前の説明で選手は、これを了解した。
その選手はトランジションバッグを忘れ、仕方なく、ウエットスーツをそのままにし、競技を続けた。結果、1位でフィニッシュしたが失格となった。納得し、甘んじて失格を認めた。
この例は、「納得のいかないローカルルールに抗議」することが認められているにもかかわらず、「選手がこれを怠った」ともいえる。
事例3(コースミス/アジア):
アジアの大会で、スタッフ(あるいは観客)がランを逆に指示した例がある。コースは1周2. 5キロの4周回で明快。
選手はコースを知る義務があり、分からなければ確認することも義務とされる。コースミスは、つねに選手の責任となってしまう。厳しいルールである。
誤った指示をしたスタッフの責任問題以前に、選手が義務を全うしなかったことが問われる。
不可解だが現行ルールからこう解釈される。そう規定せざるをえないのが、トライアスロンでもある。全員を戻して再スタートはできない。
日本のトップ選手は、これで上位入賞を逃した。発展途上のアジアでのこと、そして本来間違えようのないコースでもあった。悔しさをこらえながら“納得”してくれた。レース後、主催者も状況を理解し、夕食に招待したとのことである。
事例4(コースミス/日本):
この類例は、国内の国際マラソン大会でもあった。テレビ放送車が邪魔にならないように、コースの手前で折り返した。先頭ランナーはこれに付いていってしまった。失格である。あまりにも忍びない。しかし陸上競技でもこれがルールである。
間違いを侵した瞬間は、再現できない。そのために、納得がいかなくとも選手に厳しい裁定が下されてしまう。
しかし、このような不備を引き起こした主催者は、別途、所轄競技団体から厳重な注意が与えられるだろう。現場審判員の責任を厳しく追求するものでなはいが、相手が海外選手であっても、身振りで制止するなり、何とかならなかったのかと思わざるをえない。組織体制と審判教育を再考するものだろう。
それでも選手の記録は書き換えられない。大会運営がいかに、重要であり、選手の納得の度合いを左右するかが分かる事例である。
事例5(コースミス/米国):
98年に米国で開催された著名大会のバイクでコースミスが起こった。コースアウト地点に戻ったものの数分をロスし大幅に着順を落とした。
理由は、コーナー地点での設営と誘導に不備があったからである。ルールにより記録はそのままである。しかし、情状酌量の十分な余地ありと判断され、ミスなしの予想順位に相当する強化費が与えられた。
2.<魅力的な選手たち>
□選手は芸術
「選手は磨き上げられた芸術品である」。芸術品は、デリケートである。湿度や温度の影響を受けやすい。だから、ショーケースに入れて管理する。そして芸術品に合わせた装飾をする。観客が見やすいように説明を付けて、適度な照明を施す。その熱が伝わらないよう特殊ライトを使う。
《最高の芸術品=トライアスリート》に最高の舞台を用意する。ここで選手は、最高のパフォーマンスを披露する。選手のために、技術・審判員は、宝物を扱うように目を輝かせ、繊細な気持ちで大会に臨む。
事例:
人間の体を不自然に歪めない調和のスポーツ・トライアスロン。これが、オリンピック・ファミリーとなった理由の一つである。
健康的な肉体美を誇る選手が多い。そこでついウェアなしで表彰台に上がってしまうのかもしれない。注意し、ウェアを貸してやれば済むこと。
やってみたいことは、これらの“磨きあげられた芸術品”をどう一般にアピールするかだ。大会での記者発表や実況で大いにアピールできる。
そして、選手たちは、デリケートな人間であることも理解する。昔の話しだが、「“鉄人”なのだから、最後まで姿勢を正し、立ったままで開会式を行う」ということがあった。
精神は鉄人であっても、肉体は長旅の疲れを感じ、空腹も覚えれば喉も乾く普通の人間である。あたりまえのことだが、どこかで運営側に都合よく鉄人崇拝主義が出ていないだろうか。
□理性と感情
人間は、「理性より感情でものを受け止め、反応する」。選手たちが、とくに競技中、理性で判断し自己管理できるとばかり考えていると、微妙に変化する“感情の動き”を捉えはぐることがある。大会では、高揚しながらも緊張した選手、そして別の緊張感に縛られる審判員が、理性より感情が先立ち、双方過敏状態におちいってしまう。
「思いやりある言葉」が、漢方薬のようにやんわりと効くこともあれば、西洋医学のような即効性を示すこともある。
事例:
ある南の大会で、「毒ヘビ注意!」とコース脇に書かれているとのこと。立小便禁止とあるより効果的ではないか。言葉どおりの注意と本来の“注意目的”をうまく表現している。
これによりコースの真横で用を足す選手がいるかもしれないが、ユーモアのセンスは緊張感をほぐす良薬であることに違いない。さあ、審判員もこのセンスを磨いて、一大会で一度ぐらいは気の効いたものを言ってみてはどうか。過ぎたるは及ばざるがごとしも忘れないで。
3.<審判員の誤差>
□人間の集中力の限界
人間の錯覚は日常茶飯事のことである。それぞれが責任感をもってやっているから間違いはないと感じてはいないだろうか。
人間は、同時に二つのことを判断できないといわれる。判断できているように感じているだけ。現実には、瞬間的ながら一つひとつ順を追って判断している。同時に判断していると錯覚しているようだ。
事例:
携帯電話の普及につれ、これが原因とされる自動車事故が発生している。運転中に小さな電話機を捜すときにのハンドル操作ミスといわれる。
実際には、会話に意識を奪われ、前方はぼんやりとしか見ていないことが多い。能力の限界を知る事例である。自分の体験を振り返ってみよう。
□ナンバーと色の識別
レースナンバーとウェアの色を同時に認識することは難しい。違反者のナンバーを覚えようとしている間に、色のことまで気が回らない。40キロ前後で動いていれば、なおさらだ。ましてや周辺の選手のことまでは頭が回らない。
このようなとき、ナンバーだけの確認に集中することだ。ナンバーが歪んでいることがある、ボディナンバーが薄くなっていることもある。光の関係で読み違えが起こる。多角的にチェックし、再チェックも必要だ。
この読み違いは、良く起こる。やっかいなことは、審判員は確実と言い、選手は絶対に違う、というときである。
対応策は、写真やビデオである。しかし、バイクマーシャルがこれを完全に行うことは至難である。また、写真を撮ろうとしたら危険が伴う。さらには、写真は一瞬のことであり、次の瞬間には別のことが起こっている。絶対的な証拠にはなりづらい。
やっかいなことが多い。解決するために、ドラフティング以外でも、ストップアンドゴー・ルールを適用し、止めて確認することを広く導入することになった。
事例:
詳細は、「競技規則の改定と事例集」を参照。
□人間は誤差だらけ
「計測機器は正確ではない」。複数の寒暖計を見比べたとき、完全に数値が一致しているものを探すことは難しい..。人間はさらに、誤差だらけである。数メートルであっても正確に示せる人間はいない。
ドラフトゾーンに40キロで30秒以上いたことを立証することは困難で、ほとんど不可能といってよい。
しかし、ドラフティングはルールにより制御しなければならない。難しい。そのためにルールは「審判員の裁量」を認めている。すなわち、適当と認められた審判員=公認審判員が、違反状況を感じ取って判断する。
事例:
ウェットスーツの着用にかかわる水温の測定には、複数の温度計やデジタル方式を使う時代である。一方で、水温は気温との相関関係にある。温度規定に満たないときでも、その差がコンマ以下や微妙なときは、気温や波の状況により決める方式が、ワールドカップで導入され始めた。
ヨーロッパのワールドカップで、水温19°、気温30°、平均湿度35%、快晴、水面安定で、ウェットスーツがテスト的に禁止された。
現在のITU基準は、20度ちょうどである。今後の研究課題は、水温と気温の関係で状態がどう変わるのか、“体感温度”をどう割り出すかである。ドラフティングについては、このあいまいさが、エリートレースでの許可につながった。今後、小型のレーダーや赤外線距離探知機などが実用化されれば、人間の誤差をサポートすることになる。
□BGMが判断ミスを起こす
大会会場に好きな音楽が流れている。心地よい。しかし、これに耳を傾ければ、わずかであっても集中力は音の方に向く。あるいはリラックスして集中度が高まることもある。
観客には快適であることが多い。やるべきことは適度な音量と大会にあった選曲である。スタート前の高ぶった気持ちを和らげながら、スタート前の熱狂ぶりを演出する。
BGMの理由はさまざまである。そして、音楽にはつねに著作権があり、その使用には専門的な知識が必要となる。
事例:
シリーズの大会テーマソングとして毎回同じ曲が流れている。あるいは、担当者の趣味か、同じ曲が延々と響き渡っていることがある。メリハリをつけることが大事だ。
ラップ系のリズムがあるが、ITUではこれを推奨していない。気ぜわしくなるとの判断。スポーツの国際会議では、入口で弦楽四重奏のクラシックが奏でられていることがある。
太鼓の音は、漁に行く場面での景気付けに使われるようにトライアスロン的である。しかし、これが公式アナウンスや審判注意を聞きにくくすることがある。適度な使用で効果的にということになる。
□ヒューマンエラー(人間的ミス)
審判員の判断ミスが起こった場合、個人的に責められることがある。しかし、これはいけない。なぜならば、人間はいかに訓練を積み、経験があってもものを判断する能力に限界があり、ミスを犯すものであるからだ。審判を行うには、ヒューマンエラーを前提に対策を練ることになる。
航空パイロットのフェイルセイフの考えは、「人間は必ずミスをする」である。一般的にも、間違うことのない機器をデザインすることが基本である。例えば、プラグサイズをすべて変えて、誤った接続を防ぐ。そして失敗しても大丈夫な構造を考える。それでも事故は起きる。そして改善に向かう。
事例1:
バイクコースに進入する脇道には、2人一組で自主管理スタッフを置くことを指導される。人為的なミスを防止するためだ。
欧米の大会で、このような重要箇所が一人で管理され、ほんのわずかのスキに重大事故が起きてしまったことがある。
事例2:
ワールドカップ選手が、バイクスタートのトランジションで、ヘルメットを落とした。そこにいあわせた審判員は、瞬間的に「邪魔なもの、危険なもの」と判断して、ヨコにどかそうとした。
これからバイクをスタートさせるにありえない状況だが、「落とした、不要」というミスジャッジが「どかす」という動きになってしまった例である。
事例3:
ラン競技の移動マーシャルは、ほとんどの選手がレースナンバーを前後に付けていることに安心の心境であった。審判員は、ランの進行に沿って移動している。そこに、背面にナンバーがない選手に気がついた。
「ナンバーがついてません」と注意する。「ア!すいません」と返事がある。審判員は、本部にこのことを報告した。すると、ランでは、前後を推奨するが、ウェアを変える場合は、前だけでもローカルルールでOKとの説明。「しまった」と思うも、何とかしなければ、せめてこのことを選手に伝えよう。
しばらく捜すと、その選手はまだ競技中である。「すいません。注意は間違いでした。ガンバッテください」と謝りの気持ちで、声をかけた。
4.<大会のコントロール>
□一方的な見方はいけない
ルールの解釈と適用において、曖昧で不安定な要素があることを理解しないと、「適切なジャッジメント(判定)」はできない。選手も審判員も、「立場の違いによる解釈や感覚の違い」があることを知らないと、不安定な特設コースでのトライアスロンは、競技スポーツとして成立しない。
寒ければ審判員は、しっかりと防寒具に身を包み「ピリリと心地よい」と感じる。だが、選手たちはそうはいかない。
一方で、暑いなかをこれだけガンバッテいるのに、エイドステーションが足りないと感じる。「昨年より増設しているのに、何を言うか」等々、平行線を辿るようなことがあるかもしれない。
いずれの側からも、「一方的な見方」は避けなければいけない。
事例:
入水チェックなどコンピューター管理が行き届くようになった。同時に、集計のために選手の動きを制約することが多い。
ウェットスーツでスタートを待つ選手はつらい。指定区域の外で水浴びもしたくなる。水を飲みすぎてトイレに行きたくもなる。トイレは列をなしている。しかたなく、近くで用を足す。戻ってみると規定時間を越えていた。
こんなことが起こる。入水エリアにトイレを十二分に設置する、待ち時間を最小限にする、など運営改善は多いが、予算が足りない。これまた難しいこと多きトライアスロンの宿命だろうか。
□大小の作業分担とチームプレイ
人為的なミスに対応する方法は、チームプレイでの相互確認である。さらに、直接業務を行うスタッフと、これを一歩離れてコントロールする責任者レベルでの管理指導が必要である。
よく見かけるのは、全員が総出で一つの業務に当たっているために、あるべき広い視野が失われていることだ。「木を見ながら森を見る。実際にこれはできないので、木を見る人と森を見る人を分ける。そして山彦を利用して連絡しあう」現代であれば、無線、携帯電話と連絡手段はいくらでもある。
事例:
子供大会の女性審判長からの報告..。それまで固定業務であったものから、全体を見ることになった。“山”を見る余裕ができた。色々なことが分かった。そして来年はどうしたらよいか、レースの間中、考え続けた。観客や選手の反応も見ることができた。こうしたらどうか、というアイディアで一杯になった。こうして審判員の報告に的確なジャッジができるようになる。
□スムーズなレースの流れ
「審判というのはオーケストラの指揮者のような存在である。ルールの番人をするのが、その機能のすべてではない。..反則かどうか判然としないプレーにいきなりイエローカードを出した。普通は口頭での警告ではないか(サッカー記事抜粋)
「先進国と日本の審判は、技術レベルの差が大きい。それ以上に、ゲームコントロール能力に大きな開きがある。“ゲーム全体の流れを重視”し、やみくもにファウルを取るのではなく、悪質なものかどうかを瞬時に判断する。ファウルを仕掛けられたチームにとって、ファウルを取らなくてもデメリットがない場合、必要以上にゲームの進行を妨げない。..イエローカードとレッドカードを乱発することで、ゲームをコントロールしようとする感は拭いきれない(サッカー記事抜粋)」
トライアスロンとサッカーは本質的に違う。自己の限界に挑戦する個人スポーツをグループ競技と一緒にできない。
しかし、瞬時の動きを判断するという審判の本質は似通っている。このサッカーの審判精神に学べば、「レースをスムーズに進める審判精神」が求められるということになる。
事例:
ドラフティング許可で展開されるワールドカップのバイクスタート地点の審判員は、瞬時に“ルール違反”を見つけ、“ルール順守状態”に直させることが求められる。際立って重要なポストである。
「ヘルメットストラップ、ウェア、乗車ライン、トランジション内乗車、追突防止、転倒者の保護と後続の制御..」など山ほどあるチェック事項。そこに、集団に遅れまいとする10人以上の世界のトップ選手が突進してくる。
ヘルメットに意識がいけば、ウェアのことを見ることはできない。中途半端に着用したままでスタートを切ろうとする選手がいれば、これを制止する。
前に進もうとする“エネルギーの固まり”と表現したくなる強豪たち..瞬間的に手を貸してウェアを直す。水に濡れた体でウェアを着るのはむずかしい。
これが世界のトップレースである。審判員の権限でいえば、違反選手をイエローカードで完全に停止させ、何分かかっても直させることができる。
しかし、その選手のレースはそこで終わってしまう。「直すんだよ」と呼びかけて、送りだすしかない。そして、確認するようバイクマーシャルに申し送りするということになる。
乗車ラインの手前からチェック指導することも必要だ。ヘルメットやウェアを着用する場所にいる審判員が、これを未然に防止することが第一である。
各ポイントの審判が、何層ものフィルターで水を浄化するように機能すればよいのだが...行うは考えるほどやさしくはない。
□ルールの厳格さと裁定の緩和
「ルールはルールである。決まりは決まりである。スポーツはこの決め事で成り立っている。情状酌量の余地はない..」という主張がある。
確かにそのとおりで、トライアスロンでも、ルールの文面が教えることは、ミリ単位、秒単位の精度で競技を行い、これを裁定するものだ。
同時に、選手にミクロ的な精度のルール順守を求めながら、競技運営は必ずしもミクロ的な精度をもって運営されているとは言いがたい。
厳格さは審判面だけでなく、運営面でも発揮されるものだ。大会運営のレベル向上にあわせたルールの適用基準もジックリと考えてみたい。
事例:
陸上トラック競技のスプリント種目は、追い風2メートルで参考記録となってしまう。これを当然とする審判員が、トライアスロンの審判を行えば、その曖昧さに唖然とすることだろう。
トライアスロンの運営や競技特性を知れば“ファジー”な要素がふんだんにあることが分かる。これが従来のスポーツとは違う魅力という人もいる。このスポーツが陸上競技のように“完成”するまでは、これを程よく容認しなければ、別の問題が生じてしまう。未完成のパーツを合わせ、完成品を作るがごときスポーツ。これが、トライアスロンであると、表現されることがある。
5.<先輩スポーツから学ぶ>
□水泳、自転車、ランニング
ITUでは、ルールに該当事項がないときは、陸上・自転車・水泳の各国際連盟の規約や事例を参照することが規定されている。JTUでも同様である。
それぞれの組織が経験した量は膨大であり、ノウハウが蓄積される。関係資料や出版物も豊富である。これらがすべて、トライアスロンの教則本となる。
事例:
陸上競技では、近年、ゼッケンを“ナンバーカード”と呼ぶようになった。テレビ実況でもさかんに使われる。国際大会が多数開催されるなか、ゼッケンが英語で通用しないためである。
ITU公式用語は、《レースナンバー : Race Number》である。英語発音に近く明記すると、「ゥレィス・ナンバァー」で“レース”ではない。
《ナンバー》だけでも十分で、ラテン系選手には、「ナンバー18。ストップ!」とシンプルで誤解なく通じるようだ。
大先輩団体にもの申すようで気が引けるが、ナンバーカードは、質感的に理解されがたい。硬質感のある“バイク・ナンバー・カード”は通用するようだ。
声援規制の緩和:
「ラリー中に声をあげてはいけない。チェンジコートの時以外の移動は禁止」、といった従来の規制を、大幅に緩和する...プレーが続いている間でも声援や拍手を許し、コートに近い特別席以外の観客は、試合中に席を立つことも自由とする..これにより、観客はもっと試合を楽しむことができ、プロテニスの活性化にもつながる..(プロテニス記事抜粋)」
このようなルールが初耳の人も多いだろう。トライアスロンで考えさせられることはないか研究してみたい。
事例:
トライアスロンでの選手と観客にかかわる規制は、「限定エリアへの立ち入り禁止。ドリンクを渡すなど、選手へのアシスト禁止。コースでの伴走禁止。同伴フィニッシュの規制。危険行為の禁止..」などがある。
これらは、選手用のルールブックにだけあるもので、観客向けには、市民報や実況などでお願いするていどである。順守率は、高いとはいえないのが現状だろう。
今後、JTUルールブックのなかに「観客用ルールのお願い」を盛り込む必要があるかもしれない。
6.<ルールの展開>
□モニターマーシャル制度
「競技者自身がマーシャルである」。広域にわたるトライアスロンが審判員やスタッフだけでは管理しきれないことによるお願いである。
ルールが良く守られるようになるには、スポーツマンシップをいかに発揮してもらえるかに尽きる。
96年から、審判資格を持つ参加選手をモニターマーシャルに指定し、競技中の問題点をレポート願った。審判員には見えない部分が見えてくる。97年度の実施も成功であった。今後の制度拡大に期待したい。
「選手同士が注意しあう精神」は、将来を左右する“トライアスロン・スピリット”となると思われる。
なお、“モニターマーシャル”は、該当する適当な英語がなく、和製英語だが意味を伝えるため暫定的に使用している。
事例:
ITUのドラフティング禁止ルールでは、Drafting of another competitor or motor vehicle is forbidden. の次に、 Competitors must reject attempts by others to draft.(競技者は、他競技者がドラフティングをしようとしていたら、これを拒否しなければならない)と規定されている。
これは意訳すれば、他の選手が近づき過ぎると感じたら、「下がれ!」あるいは「ドラフティングです。下がってください。お願いします」といったことをルールが要求しているということである。
欧米流のルールの考え方が表れている。この自主規制を要請するルールが本当に機能すれば、ドラフティング違反は、よほど過剰の選手を狭いコースに入れない限り、スムーズにレースができる。
また、仮に選手から「ドラフティングだらけじゃないか、審判員はもっと取り締まってくれないと困る」、と言われても、このルールを伝えれば、「自分が、接近してきた選手に、ルールどおりに警告を与えないほうが悪いのだ。君がルールを守っていない!」と言い返せることになる。
いずれにせよ、トライアスロンは、ゴルフ競技のように、自主規制そして自己申告により相互規制が発揮されると、「野性味あふれる紳士淑女のスポーツ」になっていくだろう。
□ローカルルールについて
ローカルルールは、所轄競技団体の承認による、大会に固有の特別規則である。コースや規制からどうしても、公式ルールを適用できないときに、やむを得ずに制定する。広く理解されたことだが、やや拡大解釈されることがある。
「厳しくして違反を防ごうとするルール。現実にはチェックしずらいルール」などを各地で見かける。実情にあわせながらも改善していきたい。
具体例1:
「バイクでの追越し禁止」。コースが狭く急である、路面状況が悪い、などによりローカルルールとして適用している。
メカトラブルや一休みのために減速走行することがある。厳密にいえば、これを追い抜くことはできない。
しかし、ここで停滞したら数珠つなぎとなって、競技に支障がでる。このようなことがあるから「追越し注意」としたほうがよい。その区間に、道路標識とは違う目立つ表示物を設置し、密度を高めたスタッフ配置で管理するのが適当である。
具体例2:
「不正スタート(フォールス・スタート)をした選手に3分のペナルティを科す」。
確かに、選手にとっては、緊張感を強いられるルールである。いかに見逃さないか、審判員も緊張する場面である。
しかし、現実にこれをチェックすることができるのだろうか。再考したい。
具体例3:
ドラフティングルールは、最も規制の難しいルールである。現行の国際ルール、「ストップアンドゴー・ルール」は、狭いコースでの適用は難しい。また、40キロ前後で走る選手を止めることは、マーシャルにとっても怖い。
これを補うルールとして「タイムペナルティー・ルール」がある。しかし、1位でフィニッシュした選手が、この適用を受けて後味が悪い大会となる例がある。
97年のロングディスタンス世界選手権ニース大会では、ドラフティング1回につきバイクフィニッシュ後の「ペナルティ・ラン」が導入された。2回であれば2周という具合である。バイクマーシャルが無線で連絡して対応する。ミスがあれば、見逃しの不安が残る...。
ローカルルールは、何回も実施され、洗練された国際ルールになりえる。
98年ロングディスタンス・トライアスロン世界選手権でも、この導入が提案されたが、ペナルティラン・コース設定が難しく導入には至らなかった。佐渡大会は、周回ながら、1回のストップアンドゴー・ルールが適用されただけであった。
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