第2章 大会現場からの発想
1.<安全で公正な大会を優美に>
□優美さの力
“品格をもって、美しく”高いレベルで大会を実施するために、審判員は、優美に思考し、優美に振る舞う。
優美なる姿は、ゴツゴツとした動きより整然として力がある。水鳥が、水をかきながら波一つ立てずに水面を進む...頭のなかでは必死に次のことを考えながら、状況を把握し静かに、しかし俊敏に対応している..。
これが「優美な行動」の理論と解釈できるだろう。イソップ物語の《風と太陽の話》のようでもある。
スピーディで的確な動き、いかにして慌しさを見せないか、これを考え実践することで「確実な審判」ができるようになる。
優美さと高まる感動は、スポーツ競技で両立するテーマである。審判員はエキサイトせず優美に、そして観客は大いにエキサイトし感動する。
□観客が育てる
審判員は、観客やメディア関係者から常に注目されている。そして、すべての関係者が、トライアスロンを支援し育成しているといえる。
審判ユニフォームは、選手を立てる黒子としての色合いと、適度に目立つことが目的である。観客の前に立つ審判員は、よく目立つ。何気ない仕種に、選手以上の注目が集まることがある。
「ユニフォーム姿の機敏な動き」が、大会の評価につながるものだ。
事例:
何万人の観客を集めるプロ野球やサッカーなどは、一般のトライアスロンとは違い座ったままで観戦できる。そこで、観客はビールを飲んだりしながらもルールを知り、勝負の勘どころが分かるようになる。
そして、選手や審判員にも厳しい目が向けられる。選手たちは、これを意識せざるをえない。これで言動が正される。
今日のテレビ時代には、トライアスロンもこれらの人気スポーツと別とはいえなくなった。カメラをさえぎる審判員がいたり、必要以上にホイッスルを鳴らせば、どうなるかは容易に理解できることだ。
□選手はマーシャルの審判
審判員は、選手からも審判を受けている。選手たちは、審判員以上にルールを考え、これを大会で実践しているといえる。そして、毎年のように、各地の大会で審判員の評価を繰り返すことになる。
国内各地そして国際的レースも経験する選手たちは、一般の審判員やスタッフよりも、現実的で深い知識を蓄えているものである。
このことから、審判員は、選手から試されているように感じ、つい審判員という資格を振りかざし威厳を示そうとすることがある。これからは知識の作業分担を目指し、「選手との協調」から生まれるメリットを引き出すことが得策であろう。
事例:
ヘルメットのストラップはバイクをラックから外す前に、しっかりと締めることはルールとして周知されてきた。そこに、少しでも早くバイクをスタートさせたいために、緩めにストラップをつないでおき、フックを付ける瞬間の時間を稼ごうとする知恵者がいる。
これは厳密にいえば、「ストラップをしっかりと締める」という規定から違反となる。しかし、現実にはチェックすることは、スタッフ数からも難しい。秒単位で勝敗が決するスポーツでは、審判員の想像を超えることが起こりやすい。
そこでローカルルールとして適用されたのが、「ストラップは外しておかなければいけない」というものだ。新しい競技方法が生まれれば、新しい規定が生まれる。
ワールドカップでテスト導入されたことが、選手から報告された。ITUがこれを公式化していないのは、判断があまりにも微妙であるからだろう。
□慌ただしい注意
大声をあげて選手に注意する場面が多いのは、準備不足・打合せ不足をみずから示すものである。選手に十分理解できる文書やイラストでの補足説明が、遅くとも大会の数週間前には、提示されるべきである。
大会の前日や当日の競技説明は、最小限にする。大会準備などで精神的にも余裕のない選手に口頭で説明しても、十分に理解されにくい。
また、事前に配付した内容と大幅に違う変更点は、公式掲示板で知らせ、同時に「簡潔な文書」にまとめ、配付するものである。
事例1:
スイムスタート前、審判員がハンドスピーカーで慌ただしく、集合や整列を指示しているのは、しっかりした大会でないことを、逆に印象付けることがある。
さらには、トランジションエリア内で乗車しようとする選手を、審判員が慌ただしく注意することなども、「選手が悪い」ばかりでなく、「指導する側の準備不足」と反省すべきことである。
事例2:
フィニッシュ地点がとなり町にある大会。運営上、ウエットスーツをトランジションバッグに入れることが「お願い」として大会案内に明記されていた。しかし、ローカルルールには、特別、明記されていなかった。
これを受け、審判団は、前日と当日の競技説明で、そうするようお願いした。ほとんどの選手がバッグに収めていた。しかし、数名の上位選手が、きちんと折り畳んで揃えていたものの、バッグには入れなかった。
この選手は、3位に入賞したが、3位と4位は、最後まで併走が続き、まさに僅差のレースであった。バッグに入れる時間を数秒のペナルティーとして加えていたら逆転したかもしれない。もちろん、事前にこれが知らされていたら、引き離しにかかるタイミングは早かったかもしれない。
審判会議での結論は、「文書で書かれたものを正式」とし、罰則なしとした。「完走めざして、楽しくスポーツを」の大会趣旨を尊重し、伝える側のあいまいさを考慮したためである。選手には、この経緯を伝え教育的指導とした。
この裁定には不公平感が残るものの、もし裁判で争われたら「審判団の負け」であろうという脈絡があった。
2.<予測能力を磨く>
□失格を出さないために
審判員は、「失格を出すためでなく、失格を出さないためにいる」。これは審判員によく定着した前向きな考えである。そのためにどうするのか、これが課題である。標語ばかりが先立ってはいけない。
選手に対する注意力、観察力を高めれば、「違反行為を起こす雰囲気や状況を感じ取れる」ようになるだろう。“これを感じ取らねばならない”。審判員が強く意識すれば、審判コントロールの精度が高まる。そして、“未然に違反行為を制止”することができるようになるものだ。
具体例1(スイムスタート):
スイムスタート前に、妙に落ちつかない選手がいる。不正スタートをする選手にこのような表情や動きが見られる。「落ちついて行きましょう」と声をかける。片手を挙げて、牽制するなども効果的である。
具体例2(トランジション):
トランジションエリアで、シャツが思うように着れないで焦っている。このような選手は、レースナンバーが乱れたままスタートすることが多い。
レース展開が思うようにいかず「明らかに焦っている」。エリア内で乗車してしまうのもこのような選手である。
「落ちついて行けよ」と声をかける。それでも無我夢中であることが多い。ナンバーが乱れたままであったら、両手で制止して、直させる。ホイッスルの単音連続「注意」を併用することもあるだろう。
イエローカードで競技を一時停止させ、注意や警告を与えることができる。ストップアンドゴー・ルールは、バイクばかりでなく、違反行為が起こりそうなとき、あるいは違反が起こったときなど、あらゆる場面で適用できる。
具体例3(バイク走行):
「バイクの走行が不安定である」、チェック対象となる。
「ドラフトゾーンを守りながらも、前走者にピタリと付けている選手がいる」。
このような場合、バイクマーシャルがいなくなれば、接近し不正なアドバンテージを得る可能性が高い。監視を継続する必要ありだ。
ホイッスルをくわえ、「注意や警告を出す構え」に入る。そうしないと、ホイッスルを口にくわえる間に、競技はどんどん進んでしまう。
具体例4(パーティ):
開会式・競技説明会・パーティなどでマナーに問題がある選手がいる。足を前の席に掛けている。あいさつが終わらないのに食べ始めている。
どう対応するか。審判業務はすでに始まっている。ちゅうちょせずにその場で注意する。「もう少しで挨拶が終わります、お待ちください」。「すいません。わかりました」という会話が自然に交わされる。当事者は、明日のレースでもルールに忠実になるだろう。
前の席に足を掛けているような選手には、臆せずにそばに行き、セレモニーの雰囲気に気をつかいながら、注意を与える。本人の反省を促すのは当然である。
具体例5(サングラス):
フィニッシュ近くでサングラスを外すことは奨励事項である。本人確認のため、そして感激の表情をとらえる報道にも必要なことだ。
やっとのことでフィニッシュしようとする選手にこれを強要するものではない。また、着順を争っているときなども仕方ないだろう。
しかし、“外す意義を感じていない選手”は、この仕種をまったく示さない。コース外から「サングラスを外してください」と“アドバイス”を送りたい。
3. <降車ラインの審判員>
□適正ポジション
降車ラインの審判員は、「最も機敏で的確な判断力」が要求される。この条件を満たせない審判員は、別のポストに就くものだろう。審判員はその業務により貢献度が変わるものではない。
降車ラインでの審判チェックポイントは、向かってくるバイク選手を減速させ、降車ラインの手前でスムーズに降車させることである。
98年までのルールは、「前輪先端が降車ラインを越える前に降車する」である。降車ラインで、やや無理や危険がありながら審判員が制止し、ライン手前で“停止”させる、という状況があった。
降車ラインとは、停止ラインではない。停止させたら後続の選手の邪魔になり、かえって危険な状態となることがある。
このため、前輪先端の考え方を訂正するか、運営基準とともに全体を修正しなければ、現実にそぐわなくなった。文章表現の難しさの一例でもある。
□降車ゾーンと判断
さて、降車ラインは、ITUでは、これらの事例から「降車ゾーン」とし、陸上のリレーゾーンのようにこの間で、降車するように奨励している。ゾーンの前方ラインでの制御は同様のことであるが、ハッキリと識別できるゾーン表示があれば、早めに認識できるメリットが生まれる。
現状の考え方は、ラインをセンチ単位で考えるのではなく、「スムーズにレースを進める」ということだ。また、降車地点の手前から、スタッフが制御することも必要な運営体制である。降車ゾーンは、周辺条件にもよるが、数十メートルと、できるだけ長いほうがよいだろう。
□適切な動き
この地点の審判員の動きは、“闘牛士”のごとくに、向かってくるバイクの選手を身をていしてかわす、という感覚となる。実際の動作は、バイクが近づいてくるまで、選手の視覚に入りやすいよう真正面に立つ。そして、素早くラインの両サイドに移る。こうして手や旗を振り、降車ラインを教えることが基本である。
□選手の動きを予想する
ここで予測能力が試されるのだが、向かってくる選手の状態を見れば、ホイッスルで制御すべき選手か、しっかりと降車できる選手かが見分けられる。 数メートル手前からブレーキに手が掛かっていたり、サドル乗車から足をあげ降車の態勢に入っていれば、スムーズに降車できる選手と判断できる。不必要なホイッスルはできるだけ避けたい。
□ペナルティーの度合い
また、ここで数メートルをオーバーランしたら、ルールの文面どおり解釈すれば失格であるが、数十キロ数百キロの競技距離からみれば、やや厳しすぎると考えざるを得ない。
しかし、複数の競技者が競い合っているような状況では、明らかにアドバンテージがあるため、その分を換算した数秒のタイムペナルティーを検討することも必要かもしれない。それでも、複数の上位入賞者から対象者が出たら、どうするか。記録結果はバラバラになってしまう。
4. <コースと運営が第一>
□審判の前にコースあり
「大会と審判員そして選手」の関係は、「道路と警察官そして運転手」の関係に置き換えて考えられるかもしれない。歩道と車道がガードレールで仕切られ、中央分離帯にはグリーンベルトが施されている。路面状況は良く、カーブ地点は計算された傾斜が付けられている。交差点は立体交差。このような道路での交通警察官の監視事項は、スピード違反となるだろう。
一方で、ガタガタ道で信号もない、仕切りもない道路では、歩行者と運転手の安全を守ることに、より重きが置かれるだろう。
トライアスロンの特設コースでも、この事例は教訓を含んでいる。選手のためにコースを最適に整備し、十分な交通規制を行う。これができないときは、「交通に気をつけながらエンジョイする大会」の趣旨を、明確に打ち出すことが得策ではないか。
競技コースが人工的に完備されれば、審判業務は格段に明確になり、選手は、力のすべてを出し切れる。「審判業務の前に、コース設定と運営ありき」とされる理由である。
さらに求められることは、どうしても対処しきれない大会の不備や難点は、選手募集の段階でハッキリと伝えることである。そして、そのことを了解願い、出場してもらうことが、選手の納得度を高めることになる。
とかく、人間は、期待と違う場合の失望感は大きい。良いと思って出た大会が、期待外れであった場合の失望感の高さ。そして、それほどでもないと思って出た大会を気に入ったときの喜びは大きいものである。
事例1:
この夢の実現の一例が、ITUインドア・トライアスロン世界選手権である。フランスのボルドーで開催された。51. 5キロの1/4のウルトラ・スーパー・スプリント距離、競技タイムは15分以下である。
室内施設に50mの特設プールを設け、バイク用の周回バンクをつくる。東京ドームに特設プールを設置して、常設のバンクを使用する感覚である。
入場料を取って開催し、固定のテレビカメラが選手の表情を克明に捉える。それでも問題は起きる。スイム後の水の滴りが、バンクコースを濡らし、転倒を引き起こすのだ。そこで、10秒間の“タオルタイム”を義務化する。
興味深いのは、すべてペナルティータイムで処理されることだ。降車ラインの手前で降車しなかったら、3秒。乗車のままトランジションエリアに入り込んだら15秒というものである。
<一般道路の特性>
一般道路は、トライアスロンのバイク競技に適しているとはいえない。それは、主として、4輪の自動車のために設計されているからだ。危険箇所は、これらをチェックし、タイヤの細いロードレーサーを考慮して補修をする。補修が難しい場所は、事前にコース状況をよく説明する。
バイクコースでの注意箇所の例:
- マンホール:
コーナーに設置されていることが多く、滑りやすい。滑り止めシールやカーペットを敷く、コーンを置いて注意を促すなどが可能な措置である。また、滑り止め塗装なども応用しやすいものである。
- 道路標示の白線(横断歩道や車線等):
雨天の場合、特に滑りやすい。取り去るには所轄官庁の許可が必要である。注意を促し、選手に自覚してもらう。
- 道路面の傾斜:
中央付近を高くして水はけを良くしている道路が多い。この場合、コーナーを曲がるとき、逆バンクとなり転倒の危険が増す。事前に注意を促す。
事例2:
東京の新名所、お台場で日本スプリント・トライアスロン選手権が開催された。その前の週の蒲郡ワールドカップに出た選手も参加し大いに盛り上がった。
東京港の水質は良好とはいえない。しかし、一般遊泳とは違うハイレベルな選手が、短時間に競技するものということで了解されている。
しかし、国際選手を迎えるのは不安である。そこで、主催者は、明確にこのことを文書で伝えた。これでしり込みした選手もいただろう。しかし、参加した選手たちは「この程度だったら問題ないわ」と、社交辞令もあったろうが、前向きなコメントであった。
さらに、「よくここまでハッキリと大会の難点を言ってくれた。真似のできないことだ」という言葉も受け取った。
例えば、「一般車両がコースを走る大会、踏切を通過するバイクコース、歩道を走るラン..」など大会は、全体としては合格であっても、難点を抱えている。
大切なことは、これらをハッキリと選手に伝え、事前に了解願い、そして協力してもらうことである。
5.<改善への意志>
□創意工夫で質的向上
現在の大会は、全般的に創意工夫の余地が多く残されているように見受けられる。「向上への意識」があれば、斬新な提案が出るものだ。これをたたき台に意見を交換する。こうして、今ある大会は、経費を掛けずに、レベルアップができる。
この作業を促進するのは、選手たちの実体験を聞ける技術・審判員である。
事例:
「スポーツの伝統と改善」は表裏一体のものである。例えば、1500人が出場する大会。一斉スタートは壮観であり、伝統でもある。しかし、スイム距離3. 9キロの往復であれば、一度スタートしたら観客は1時間近くも待たされる。
見るほうも緊張から開放される一時である。だが選手の様子が気にかかる。完全フォローする実況アナウンスや大画面の屋外テレビでもない限り、臨場感は伝わってこない。
総合順位が、着順どおりということは魅力である。しかし、もし、これを5分おき150名づつのウェーブスタートにしたらどうか。スイムのトップが戻って来るころに、最終組がスタートする。見る側からすれば悪くはない。
一斉スタートであれば、強い者が前に出て、自信がなければ後からスタートできる。自然に混乱は防げる。バイクに出ても、流れは強弱の法則が働く。こう考えることもできるが、一方で、スタート直後に集団になりやすい。ウェーブスタートの導入は、みんなで考えてみるのも意義があるのではないか。
□改善と検証
審判員そして関係スタッフは、ITUのテーマ(94年度)「ルールと運営方法の改善」を認識し、大会を通し、より良い競技形態を確立する。
JTUルールに準じながらも、いかに優れた大会が開催され、どのように改善されるべきかを研究する。また、ルールの改定あるいは改善により問題解決が可能であるか、絶えず「既存のルールを検証」する。
事例:
愛知県蒲郡競艇場をメインに開催されるワールドカップは、クローズドサーキット型の周回コースで、ドラフティング許可により、世界有数の国際大会が開催されるようになった。
それまでの周回コースは、アットホームながら改善事項のめだつ大会であった。それが“世界”に格上げされて見違える大会になった。
午前中にエイジグループ、そして子供トライアスロンのデモンストレーションをはさみ、ワールドカップの女子そして男子競技が行われる。
レースを終えた選手たちが、数万の観客席から大画面テレビを見ながら目の前を通る世界のトップ選手に声援を送る。選手そして審判員の緊張度が高まる。そして満足度も高い。
□情報収集とフィードバック(還元)
大会の最深部に入り、選手に最接近する審判業務を行いながら、大会から得られる優位点そして改善点を把握し、全体の発展に役立てられたらよい。
大会主催者そして選手から生の声を聞くことにより、競技規則そして運営規則を研究し改善に努める。
実例1(周回コース):
世界のエリート選手を集めて競技されるワールドカップでは、幾多の大会経緯から、“見せるため”そしてコース設定のしやすさなどからスイム3周回コース(周回毎に上陸し、最短距離で入水)で実施されてきた。しかし、選手の泳力が接近する上位レベルでは第1コーナーでの混乱が多い。そのため、折衷案として2周回で実施され一般的となった。
これは、平均80名の上位選手が参加する場合であり、50名前後そして第1コーナーまでの距離が適当であれば、Spectator Friendly(観客に親切)な3周回案も捨てがたい。
現に、天草のアジア選考大会では、国内選手70名前後であり、日本の上位でも実力の差がハッキリしていたため、ほぼ問題なく3周回で実施されている。
実例2(バイクラック):
バイクフィニッシュ地点のラックのどこにでもバイクを掛けることができるローカル・ルール。93年世界選手権マンチェスター大会で導入された。市街地の中心部でスペースがないため、限定数のバイクラックを道路の片側に置き、自由に置かれるバイクを、スタッフが次からつぎに路地に運び込んだ。
これにより、従来の方法では不可能であった場所をトランジションとし、世界選手権は成功した。
同方式は、集団でバイクをフィニッシュするワールドカップに程よく適合し、トライアスロンの新しい運営方法として注目されている。蒲郡/石垣島ワールドカップでも同一方式でみごとに機能している。
さらに、バイク後輪を上から押さえるピット方式が導入された。大変好評で、洗練された運営手腕が、選手の気持ちをピリリと引き締めた例だ。同方式は、オリンピックでも採用され得る革新的な技術である。
実例3(レースナンバー):
98年のワールドカップ・チューリヒ大会で、ウェアの内側に折り込んでおいたレースナンバーが、後続のスイマーの手に掛かり引きちぎれてしまった。
バイク区間でレースナンバーがない。失格の裁定を受け、抗議も通らない。ヨーロッパは、厳格な、あるいは厳格すぎるスポーツ文化が根づいているようだ。
一方、ITUでは、規定を満たせない国や選手のことを考える。現実路線で打開策を模索する柔軟さを基本としているようにみえる。
チューリッヒでの裁定はルールどおりであり、これはITUも認める。しかし、その一方でITUは、万に一つ起こった事例に抜本的に対応した。バイクでは、レースナンバーを不要とするルールを推進した。
これは、早速、同年の蒲郡ワールドカップにも導入された。スポンサーとの兼ね合いがあり「レースナンバーは、バイクでも着用してほしいが、義務ではない」とした。あいまいなルールであるが、現実的な打開策であった。
□国際大会への寄与
トライアスロン(51. 5キロ)は、2000年シドニー・オリンピックの公式競技となった。2004年の候補地は、すべてトライアスロンのコースを用意している。可能性は高いが決定は今後のことである。
そして、2008年には大阪が“オリンピック・トライアスロン・コース”を設定し、招致を活発化している。うれしい限りだ。
今後の永続的なオリンピック実施の条件は、シドニーでの成功に尽きる。日々の審判業務から改善提案が生まれれば、21世紀のトライアスロン発展への大きな基礎となるだろう。
事例:
相次いだ毒物事件で、トライアスロン主催者には心配の種がまた一つ増えた。そして、シドニー・オリンピックでの最大関心事が、テロなどから選手や観客を守るセキュリティである。
シドニーの担当者は、トライアスロンやマラソンの広域競技の対策に躍起になっている。観客の誘導整理も一大事だ。国内でも予選会レベルの大会から、突発的なことに対するシュミレーションが必要となってきた。
緊迫度を増すシドニーのニュース報道から学ぶことは多いはずだ。
6.<マスコミとスポーツ>
□スポーツを見せる側
競技団体そして大会主催者は、スポーツを見せる側である。メディア主導型あるいは企業の宣伝媒体としての競技大会について、IOCそしてITUは、これらが相互に良好な関係をもち推進されることを理念としている。「五輪大会を支配するのは、商業主義ではなくスポーツ人である(サマランチIOC会長:記事抜粋)」
いずれもが均等な関係である。競技団体が上でもなく、スポンサーが上でもない。お互いの作業分担を明確にし、調整を重ね、必要であれば契約を交わし、「トライアスリートのため、そしてトライアスロンの発展のために(猪谷会長の就任挨拶より)」、競技団体とそこに所属する審判員が機運を盛り上げる。
スポンサー、審判員そしてJTUの上にいるのは、「トライアスリート」である。そして、この上にいるのは、ボランティアそして観客と考える。
事例:
競技を見てもらうとは、いかに良くみてもらうかである。これにつながらなければ醍醐味に欠ける。トライアスロンの競技規則やその見所は、メディア関係者に十分知れ渡っているとは言いがたい。
そのため、メディア会議を開催するばかりでなく、例えば、競技説明会への参加を促し、競技のポイントを知ってもらうことも対策の一つと考えられる。一般的には競技説明会にメディアを入れることは特例中の特例だろうが、技術やルール面での訴求効果は高いはずである。
これが、専門的で深みのある大会報道になれば、目的は達成できる。
□見せるスポーツ
「するスポーツ(選手)」重視から、「見るスポーツ(観客・視聴者)」が、評価され始めている。「見るだけでも、その対象に対する快感を伴い、豊かなイメージの世界に遊べるほど、十分な経験や情報の蓄積をもつようになってきた(記事抜粋)」
そして、日体協が「見るスポーツとするスポーツ」を合致させ「みんなのスポーツ(Sport for All)」としてスポーツ振興が推進されている。
十分に「見えないスポーツ」は、スポーツ記事に書かれることが少ない。取材記者は、競技を自分の目で見て、感動してこそ公共のメディアへ記事を載せる。
現状のトライアスロン大会が、どれほどよくその醍醐味そして魅力を、見る者に伝えているかを再考してみる必要があるだろう。
事例:
大会を見る側から発想することの大切さは、状況を踏まえ繰り返し述べてきた。「水泳パンツで町中を走るのは、どうしても馴染めない。ランニングパンツをはいて走れないものか..」。
これは、観客からの声であり、同時に長年のマラソンランナーからトライアスロンに転向したアスリートの言葉でもある。
ウェアや用具は、欧米からもたらされたものが多く、十年以上前に開催された国際大会では、最新の用具やウェアに驚くことが多かった。慣れてしまえば、スイムウェアでのランも何でもないが、まだ、違和感を感じている人がいることを忘れてはいけない。
7.<イメージをつくる>
□女性にやさしいスポーツ
ITUでは、男女平等を設立以来訴えてきた。とかく女性の参加が少ないからと、男子はトップ10、女子はトップ5表彰などとする大会があった。ITUは、これらの差別をなくするために全勢力を捧げてきた。
さらに、大会のテレビ報道についても、運営上しかたない部分もありながら、女性が軽視されがちである。男女区分のない仮設トイレも多い。
これらのことを打開しなければ、真の国民的なスポーツには成りえない。
事例:
男子フィニッシュのすばらしい写真が、ポスターの全面に使われている。トライアスロンの挑戦を感じさせる。しかし、女性のイメージが出ていない。
女性参加が少ないからこそ、女性をクローズアップした表現が求められる。スイムを男子にしたら、ランは女性の写真という具合である。
□だれにでもできるスポーツ
これまでトライアスロンの過酷なイメージが強調されすぎた感がある。そのために、テレビが、挑戦のイメージをテーマにすることが多い。
これを否定するものではないが、今や、小中学生がトライアスロンを始めている。大会によっては、300名の定員に1000名もの参加希望があったほどだ。
これからは、それぞれの趣向にあったトライアスロンがスポーツとして楽しまれる時代である。この良好なイメージをつくるのは、技術・審判員である。
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